犀の角


『1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。』なんて言葉があるけれど、カレンダーの数字を見やれば時間がこんなにも経っていたのかという事実に直面して、「あっという間ですね」なんて人類共通語で会話しようとする。季節はすっかり春、記憶から遠のいてしまった学生時代(特に小学校の頃)を思い返せば、あの頃は友達と会って過ごすばかりが1日のすべてで、それ以外のことは文字通り「それ以外」の何ものでもなかったなあ、と社会にでてから強く感じる。

世の中では、政治不信や戦争のこと、心無い言葉も飛び交っていて目を背けたくなる。インターネットはあらゆる人と繋がれるけれど、やっぱり個が発するテキストとイメージの世界だからなのか(自分もいちユーザーであるし)、ふとした時に孤独がどんどん深まっていくような感覚がして、どっぷり浸かってしまうのはよろしくない気がしている...情報との距離感、むずかしい。

そんなこんなで近頃は、よく音楽を聞いて過ごしている。音楽を聞く(浴びる?)こと、食べること、なんでも心地よいと感じるものを内側に取り込むことは、心と身体を『ケア』することに包含されると思っている。
数々のアーティストの中で、生きざまというか、影響を受けた一人に寺尾紗穂さんという方がいて、ちょうど去年の夏、本屋で彼女のエッセイ『彗星の孤独』という書籍に出会ったのがもろもろの入口だった。(そのとき、ちょうど店内にかかっていたBGMも寺尾紗穂さんの「楕円の夢」というアルバムでした...わお)
音楽制作だけでなく、執筆やライブパフォーマンス、Podcastなど、幅広く活動されているのをこのあとに知ったのでした。
書籍に綴じられたたくさんのお話、言葉からは寺尾さんの熱を感じて、本の中は鉛筆で文章を囲ったり印をつけた箇所が散らばっていて、こうしてじぶんだけのものになっていくのかなんて思ったりもする。

中でも忘れられないのが『犀の角』という章の文末。

「こいつが犀だ、と信じて容易でない道を突き進む時、犀を探そうとする人間もまた角を持って歩む一頭の犀と言える。自ら信じるものを信じ通す力、不可能を可能にする力。そこにはいつも人の心を動かす何かがあふれているのだと思う。」

 

お守りのように、言葉であれ形のあるものであれ、それを信じることで人の歩みを背後から支えているような感覚は、やさしい、安心感がして好きだ。


最後に添えた写真は、昨年の夏の終わり、この言葉と出会ってからまだ間もない頃に、京都へ一週間ほど滞在していた時に平安蚤の市で出会った犀の木彫。
自らの灯火をたよりに、独り歩める人間であり続けたい。