一人では生きていけないロマンス[2023年11月寄稿文]


 人と人とが体を介して行うやりとりの一つに「抱擁」がある。わたしにはこの「抱擁」が、人類が執り行う、最も美しい行為に見えている。時間を遡れるようになったら、この行為に「抱擁」と漢字を当てた人と抱擁を交わしたい。

 きっかけは、とある映画のワンシーン。泣きながら熱い抱擁を交わす登場人物が、顔を見合わせることなくただただ涙を流し続けながら、言葉を小さくかわし合うのを見て、「抱き合うという行為は、お互いがお互いを借りあって必死にしがみつき合っている状態なのではないか」とふと思った。本当にしがみつき合っているのかは分からないが、そこにはどこか不安定なもの同士の、必死の団結のような雰囲気がある。そのどの時々も、切り取った瞬間はそう見えなくても、人はみな歪なかたちをした生き物なのだろう、と思う。

 抱擁しかり、人と人との間で交わされるコミュニケーションは、きっと「自分以外の他者の存在を認める」という、そんな当たり前のところからいつも始まる。じぶんのものではない身体に触れる時、その人の姿かたちを確かめるだけでなく、心に抱えた重みにまで思いを馳せる。そうしてお互いを認め合うことで、初めてその先の「委ねる」という階層へと昇華させていくことができるのだと思う。こうした抱擁を巡る一連には、「自分ひとりでは、自分のことなど決して救えはしないのだ」と暗に示されているようで、どきりとする。
 個人一人では到底抱えきれない感情の波を、他人の肩を借りることで波長を合わせ、打ち消し合う。そんな不可視で神秘的な交流が、そこに発生しているのだとしたら。人は美しいいきものだとも思う。

2023年11月15日 『あの人新聞』へ寄稿
※一部編集を加えています。